探しものの時間が無かったならば
♪探しものは何ですか
見つけにくいものですか
カバンの中も机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と踊りませんか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか
ご存じ、井上陽水のヒット曲 「夢の中へ」 の冒頭の歌詞である。
最近、気が付くと 探しもの をしている。
メガネ、キーホルダー、ボールペン、ネクタイピン、あの本、あの記事、あの書類・・・。
歌詞のとおり、カバンの中や机の中にはじまり、車の中、身に着けていた上着やズボンのポケットの中を何度も確認する。
少しも日頃の運動不足の解消には役立たないが、一階と二階の部屋を何度も行ったり来たり・・・。
なんとも情けなく、腹立たしい時間を過ごしている。
多くの場合「自己責任」なのだが、なぜか家族にあたってしまう。
こうした時間を「無駄な時間」 「ロスタイム」 というならば、生まれてこのかた、その累積時間は膨大なものといえるだろう。
源氏物語全巻を読破したり、写経で般若心経の千巻くらいは奉納することができたかもしれない。
今のところは家の中だけの探しもので済んでいるが、身近な知人(断じて私ではありません!)の例は「聞くも涙の物語」だった。
伊勢神宮に旅行をし、いざ自宅の鍵を開けようとしたがキーホルダーがない。
コートやバッグの中を何度も探すが見つからない。
その日は家人のスペアキーで自宅内にはいったものの、家の鍵以外にもいろいろな鍵がついているキーホルダーを
紛失したことは厳然たる事実である。
記憶を辿ると、名古屋で食事をしたときには確かにあった。
とすると、名古屋駅構内から新幹線の車内、東京駅そして・・・。
バックをあけたシーンを思い出しながらの<捜索>となった。
あちこちに電話で問い合わせをし、東京駅に出向き、遺失物取り扱いの事務所を訪ねる。
<落とした>、<発見された>場所によって管轄が異なるという。
JR東海とJR東日本では、事務所の位置がまったく違う。
広い東京駅構内を歩き回り、事情説明をし、届けられている物を確認してもらう。
半日がかり、2万歩近くもウロウロするも、結局は徒労に終わったという話である。
あれから、半月余りが経つが朗報は届いていない。
『母さん、私のあのキーホルダーはどこへ行ったのでしょうね』
探しもの→忘れ物(落とし物)→紛失と深刻の度が増すにつれ、持って行きようのない怒りのボルテージが上がる。
時間的、経済的、そして精神的なダメージは、はかりしれないものとなる。
タイムマシンがあったなら・・・と痛感する。
もし、タイムマシンが目の前にあったとして、人は未来と過去のいずれに行きたいと思うものなのだろうか。
私は圧倒的に<過去行き>に乗りたいと思うのだが・・・。
さすがに(まだ)食事をしたことまでは忘れたりはしないが、朝夕飲まなければいけない薬を飲んだかどうかがはっきりしない時もある。
これも加齢による現象と諦めなければならないのか、生来のせっかち、うっかりの気性のせいなのか。
いずれにしても、膨大なる時間を仏頂面をしながら歩き回るという行為に費やしていることを自覚する昨今である。
この時間がなかったならば、私はもう少し「ひとかど」の人物になれていたのに・・・と思うのでした。
見つけにくいものですか
カバンの中も机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか
それより僕と踊りませんか
夢の中へ 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか
ご存じ、井上陽水のヒット曲 「夢の中へ」 の冒頭の歌詞である。
最近、気が付くと 探しもの をしている。
メガネ、キーホルダー、ボールペン、ネクタイピン、あの本、あの記事、あの書類・・・。
歌詞のとおり、カバンの中や机の中にはじまり、車の中、身に着けていた上着やズボンのポケットの中を何度も確認する。
少しも日頃の運動不足の解消には役立たないが、一階と二階の部屋を何度も行ったり来たり・・・。
なんとも情けなく、腹立たしい時間を過ごしている。
多くの場合「自己責任」なのだが、なぜか家族にあたってしまう。
こうした時間を「無駄な時間」 「ロスタイム」 というならば、生まれてこのかた、その累積時間は膨大なものといえるだろう。
源氏物語全巻を読破したり、写経で般若心経の千巻くらいは奉納することができたかもしれない。
今のところは家の中だけの探しもので済んでいるが、身近な知人(断じて私ではありません!)の例は「聞くも涙の物語」だった。
伊勢神宮に旅行をし、いざ自宅の鍵を開けようとしたがキーホルダーがない。
コートやバッグの中を何度も探すが見つからない。
その日は家人のスペアキーで自宅内にはいったものの、家の鍵以外にもいろいろな鍵がついているキーホルダーを
紛失したことは厳然たる事実である。
記憶を辿ると、名古屋で食事をしたときには確かにあった。
とすると、名古屋駅構内から新幹線の車内、東京駅そして・・・。
バックをあけたシーンを思い出しながらの<捜索>となった。
あちこちに電話で問い合わせをし、東京駅に出向き、遺失物取り扱いの事務所を訪ねる。
<落とした>、<発見された>場所によって管轄が異なるという。
JR東海とJR東日本では、事務所の位置がまったく違う。
広い東京駅構内を歩き回り、事情説明をし、届けられている物を確認してもらう。
半日がかり、2万歩近くもウロウロするも、結局は徒労に終わったという話である。
あれから、半月余りが経つが朗報は届いていない。
『母さん、私のあのキーホルダーはどこへ行ったのでしょうね』
探しもの→忘れ物(落とし物)→紛失と深刻の度が増すにつれ、持って行きようのない怒りのボルテージが上がる。
時間的、経済的、そして精神的なダメージは、はかりしれないものとなる。
タイムマシンがあったなら・・・と痛感する。
もし、タイムマシンが目の前にあったとして、人は未来と過去のいずれに行きたいと思うものなのだろうか。
私は圧倒的に<過去行き>に乗りたいと思うのだが・・・。
さすがに(まだ)食事をしたことまでは忘れたりはしないが、朝夕飲まなければいけない薬を飲んだかどうかがはっきりしない時もある。
これも加齢による現象と諦めなければならないのか、生来のせっかち、うっかりの気性のせいなのか。
いずれにしても、膨大なる時間を仏頂面をしながら歩き回るという行為に費やしていることを自覚する昨今である。
この時間がなかったならば、私はもう少し「ひとかど」の人物になれていたのに・・・と思うのでした。
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