「アラ還」にして初めて知った

そろそろ鍋が恋しい季節となってきた。
そして同時にお酒が美味しい頃(まぁ、年中美味しいけれど・・・)でもある。

ところでこの「酒」という漢字。
あの喉に染みわたる「液体」の部首は当然のことながら、「さんずい」だと確信していた。

ところが<あるきっかけ>(後述)で、「酒」の「部首」は「ひよみのとり」(日読みの酉)であるということを知った。
「酉」字は十二支の第10位(酉)を表す。
十干と組み合わせて六十干支を構成し、日を記録する記号として用いられた。
漢代以降は年の記録にも使われ、方位では西、月では仲秋、旧暦八月を表す。
『説文解字』では「酉は就(成熟)の意味であり、八月に黍が成熟し、芳醇な酒を造ることができる」とし、酒つぼの形に象(かたど)るとする。甲骨文を見ても、酒つぼの形に象っており、「酒」の本字と考えられる。
偏旁の意符としては酒や発酵食品、調味料などに関することを示す。 (Wikipediaより一部引用)
とある。

漢字や部首の成り立ちや歴史を知ることは楽しいことではある。
しかし、この「知識」の有無を問う私立中学入試の問題に接し、大いなる疑問をもった。
かつて、私自身が受験指導にあたっていたときも同様の感慨を持ったことを思い出した。
その時は、『問』という漢字だった。
この漢字の部首は「もんがまえ」ではなく「くち」なのである。

知識の有無や記憶力を問うだけのこうした問題は、学力=思考力や問題解決能力、表現力を測るものではなく、<落とすため>、<差をつけるため>の問題でしかない。
出題者(出題校)の意図や見識を疑わざるを得ない。
『こんな問題を出す学校なんか落ちたって構わない』、『こんな学校を受験するのは考え直した方がよい』とまで発言してしまった私は若気の至りだったのか、ダメ教師だったのか・・・。


ところで、下記の文の意味がわかるだろうか。(高尚なる漢文ではありません)
斜十抱月シ偏之鳥、二人登木天下之口

斜十抱月=有る  シ偏之鳥=酒 
二人登木=來   天下之口=呑

恋という字(戀)を「いとしいとしというこころ」と分解したのと同じようなものである。
すなわち、「酒有り、来たりて呑まん」という意味となる。

Tさん、Oさん、Sさん、今週末には沢山のお酒を用意してお待ちしています。

この記事へのコメント

noga
2010年12月14日 18:43
英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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